強迫性障害克服の記録Ⅰ


ある30代女性のOCDの改善に取り組み回復している過程のメールの記録です。彼女は、中学時代からこの症状に気づいてはいたものの、具体的な病名も分からないまま一人悩み続けてきました。小学校の頃から、母親が本当に自分を愛してくれているのだろうかというこだわりを引きずりながらも、愛されるために勉強も頑張ってきました。しかし、満たされない心が症状をさらに悪化させてしまいました。私は、彼女に一人で悩み続けないように言いました。「あなたの性格から考えて、このまま親の反応が心配で、これまでの自分の苦しみを一人で抱えて過ごしたら、お母さんが将来亡くなってしまった時にどうしようもなくいたたまれない後悔をしますよ」と、彼女から聞いた両親の性格も考慮して助言しました。 その結果・・・・・・。



井手先生、昨日は遅くまでありがとうございました。
先生にお会いしてお話できて、とても安心できました。

今日は、本当は仕事を休んでいたかったのですが、がんばって仕事に行きました。
すると、やはり両親に対しての抑えていた感情が湧き出してきてたまらなくなって、今日両親に私の状態を伝えようと思い立ちました。
夕方、家に帰ってから、両親に今まで話せなかったけど、私は小さい頃から強迫観念と不安が酷くて、長い間苦しんできたことと、それがどんなものだったか、両親に対して大事にしてもらってきたことはそうだろうと思っているけど、両親が私に与えようとしてくれたことと、私が求めていたことが食い違っていたことなどを話しました。
泣きながら話しました。

両親はよく話してくれたと言ってくれました。
父は私の思っていたことを伝えてくれて良かった、よく言ってくれた、聞けて良かったといってくれました。
母が早く言ってくれたら良かったと言って、それに対して、父が言えない状況だったんだから、今言ってくれて良かったんだと言いました。

母は相当私のことで悩んでいたようです。
私に対して腫れ物に触さわるように接していたといいました。
それは私も分かってると答えました。
何かいうとその中で私の気に入らないことが入っていたらすぐに私が過敏に反応して機嫌が悪くなるので、どう接していいのかいつもすごく考えていたといいました。
このまま両親がいなくなって、私が一人になってこの状態で大丈夫なんだろうかと悩んでいたといいました。

私が初めての子で、両家でも初孫で、下にも置かないように大事に大事に甘やかして育てたからこんなに我侭になってしまったのだろうと思って、私の育て方が間違っていたのだとずっと自分を責めていたのだそうです。
私が私の傾向を説明すると、それで納得がいったとホッとしていました。
思い切って、私を一時突き放して我侭を治そうかと思ったり、催眠療法を受けさせようかと思ったりしたというので、今、井手先生のところで催眠療法を受けていると説明しました。

でも母はそんなに長い間、一人で苦しんできたなんてと泣いてしまいましたが、父がいや早くわかって良かった、と言い、母もそうだね、これから前を向いて進んでいかないとねと言ってくれました。
お互いの気持ちがかみ合ってなかったこと、私に話を聞くまで全く気がついていなかったといわれました。
だから話してくれてよかったと言われました。

父と母がとにかくちゃんと治しなさい、協力するからといってくれて、私は本当にありがたいなと思いました。
母は私を抱きしめてくれて、お父さんも家族の為なら命を投げ出すくらい思っているし、お母さんも(私は)本当に大事な大事な命より大事な子なのよと言ってくれました。
私も抱きついて泣きました。

長い間、たった一人で抱え込んで苦しんできましたが、井手先生が話したほうが良いといってくださって、ようやく話すことが出来ました。
本当にありがとうございます。
先生が言ってくださらなかったら、私は一生言えないままでした。
本当はもっと状態が良くなってから、話そうと思っていたのですが、今回は我慢できませんでした。
でも、今日言ってくれて良かったといわれたので、私も良かったと思いました。

どうぞよろしくお願いいたします。

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